【退職代行】金融機関営業でメンタル崩壊して退職するまで

仕事

 私は弱小金融機関で7年半程勤務し、体調を崩して退職をしました。元々事務職として採用されましたがいつの間にか営業担当となり、厳しいノルマとプレッシャーに苦しむ日々を過ごしました。苦手な営業を2年間続けた結果、体に様々な症状が出てしまい、退職を選択することになりました。

【退職代行】金融機関営業でメンタル崩壊して退職まで

自己紹介

金融機関に18歳(高卒)で就職。事務職で入社し、受付・事務処理・金融商品の販売等を5年間経験しました。その後2年間は営業として勤務し、個人・法人先へ訪問し営業活動も行っていました。

金融機関について

金融機関にもさまざまな種類があります。都市銀行と呼ばれる有名な銀行の他に、地方銀行、信託銀行、ネット銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫など…。私はその中でも、規模の小さい金融機関に勤めていました。金融機関と聞くと良いイメージを持つ方もいますが、良いのは一部のメガバンクだけだと思います。小さい金融機関は大手との競争に勝てず、衰退していきます。実際に私が勤めた金融機関も、経営方針が変わって事務も営業も全員営業をしなければいけない状況でした。

⚪︎預金係

入社から5年間は預金係(事務)を経験しました。初めは出納係と言って、支店のお金を管理する業務を行いました。徐々に事務処理や窓口受付を行い、ある程度仕事を覚えたらセールスをすることになります。入社2年目からは事務でも関係なくノルマが与えられ、営業をして成果を出すことが求められました。金融商品の販売のために、来店客にセールスするだけでなく、電話営業やポスティングも行いました。セールスという業務が増えても事務負担・人員・給料は変わりません。成果を出しても賞与が数万増える程度です。また、契約が取れてもやりがいを感じることはなく、モチベーションは下がる一方でした。

⚪︎融資係

融資係は窓口に来店された顧客の融資相談を受ける業務です。また、支店内の融資管理なども行います。外勤営業に出るなら一度内勤で融資経験を積む人がほとんどです。しかし、私は融資係を経験せずに渉外係(営業)になりました

⚪︎渉外係(営業)

渉外係とは営業のようなもので、担当エリア内で営業活動を行います。主に男性が担当する係でしたが、女性のキャリアアップ推進ということで女性も渉外係を勧められるようになりました。しかし、渉外係をやってくれる女性職員はなかなか集まりません。本部が各支店をまわって直接お願いをしても、ほとんど断られたそうです。私は誰かがやらないといけないという謎の責任感から引き受けてしまい、2年だけという約束で渉外係を担当することとなりました。

・過酷な営業活動

金融機関の営業は、集金業務を行いながら集金先で営業活動を行います。男性はバイクで営業をしますが、私は免許がなく自転車で営業に出ていました。そのため担当エリアが狭く、限られた顧客の中で営業を行うことになりました。訪問予定があれば雨の日も、雪の日も、自転車で訪問しました。営業カバンはとても重く、腰を痛めることも多々ありました。営業活動についてもかなり苦戦し、始めはなかなか数字が上げられずに悩み不安を感じていました。集金先への営業だけではなく、取引のない個人・法人への営業も行いました。様々な方法を試しましたが、その中でも一番精神的に苦痛であったのがアポなし訪問でした。片っ端からインターホンを鳴らし営業を行いますが、話も聞いてもらえないことがほとんどです。私も逆の立場なら断るので、嫌なのがよくわかります。私にはこの方法は不向きで、ほとんど無駄足になりました。何度心が折れたわかりません。

・耐え抜いた2年間

自分に向いている営業方法を見つけ、少しずつ数字を稼ぐことができてきました。一番成果が出たのが過去の訪問データや契約の記録を参考に情報収集し、ターゲットを絞り込んで電話で訪問のアポを取る方法でした。この方法で徐々に数字をあげ、担当エリアも拡大してもらうことで、全営業担当のランキングでトップ10に入る成績を残すこともできました。しかし、そのせいで周囲からの期待が大きくなり、より多くのことを求められるようになってしまいました。(正直、良い成績が取れたのは上司や先輩のおかげであり、私の力ではないです)

・心が折れた瞬間

前職では、役職ごとに目標の数字が決まっていました。しかし、周囲からの期待が大きくなっていったことで、目標達成が当たり前だと思われてしまいました。それだけではなく、通常より20%上乗せした目標を課せられるようになりました。これを課せられた時、心が折れた感覚をよく覚えています。自分の中では最大限努力してやっと出せた成果でしたが、それ以上の成果を求められる。どんなに努力をしても永遠に求められるものが増えていくと感じて、気力がなくなっていきました。また、顧客から複雑な相談を受けることも増え、業務時間外も仕事のことを考える時間が大幅に増えていきました。

・突然の体調不良

心が折れながらも、営業担当2年間というゴールを目指して努力を続けました。しかし、営業担当終了まで残り数ヶ月の頃、体調に変化が現れました。胃の痛みを感じ、下痢が毎日続きました。ストレスという感覚はなく、ただの体調不良と感じていました。心が病んでいる感覚も無かったので、病院にも行きませんでした。そうして営業担当が終了しましたが、すぐに次の試練が待っていました。

⚪︎預金係(指導員)

営業店研修として、新入社員3名の指導員を任されることになりました。2年間全く触れなかった預金係に戻るだけでなく、思い出しながら指導をする必要がありました。事務の指導員くらい簡単にできると思う方もいるかもしれませんが、金融業界の事務はかなり複雑です。しかも、担当を離れていた期間にシステム移行もあり、さっぱり分からない中で自分も勉強しながら指導員をすることになりました。この人材配置にはさすがに反論しましたが、取り合ってもらえず指導が開始しました。3名の新入社員はとても人柄が良く、おかげで無事に指導できましたが、常に脳をフル回転させていたせいか、疲れが溜まり体調が格段に悪化していきました。

・繰り返す高熱

この頃から39度を超える高熱が出始め、2週間に1回のペースで発症しました。当時、コロナが流行った少し後だったので検査もしましたが陰性でした。ストレスは関係ないと思っていましたが、下痢も続いているので同僚や友人に相談をしました。「メンタル崩壊しかけてる」「逃げたほうがいいよ」と言われ、自分が精神的にダメージを受けていることに気づきました。

⚪︎退職の相談と決意

指導員としての業務は一定期間のため、終了と同時に退職を考えていると「相談」しました。体調不良が続いていること、次々と求められてもついていけないこと、全部話しました。体調のことを言えば、限界が来ていることを理解いただけると考えていましたが違いました。返ってきた言葉は「指導期間が終了したらまた新しい業務に挑戦してほしい。体調が悪いなら少しの期間お休みをしてからまた頑張ればいいよ」でした。全く理解されていないと感じ、この時に退職を「決意」しました。しかしその場合は上手く言いくるめられてしまったので、言われた通り1週間の休みを取りました。

⚪︎退職代行⭐︎

1週間の休暇を取っても、当然回復することはありませんでした。復帰の際に改めて退職の話を伝えましたが、引き止められて全く話が進みませんでした。とりあえずやってみてと繰り返され、出勤することも恐怖になりました。退職できないは意味が分からないので、人事にも相談しましたが全く動いてもらえませんでした。

任された指導員をやり切ってから休暇を取っているので、引き継ぎはなく後任への迷惑を考える必要もありません。また、体調だけでなくメンタルも限界を迎えたため、退職代行を利用して逃げることを選択しました。会社から電話が来ましたが、全て無視して退職代行に任せました。心は楽になりましたが、体調はしばらく引きずりました。また、逃げてしまったことに負い目を感じていた時期もあり、社会復帰まで1年弱かかりました

振り返って

退職から2年経過しましたが、あの時逃げて正解だったと感じています。退職の仕方は決して良いとは言えず、お世話になった方へ直接感謝を伝えられなかったことは後悔しています。しかし、逃げなければ心と身体が完全に壊れていたと思います。

あなたは大丈夫ですか?もし頑張りすぎて疲れている方がいたら、まずは少し手を抜く方法を考えてみるのはどうでしょうか?最大限のパワーを出し続けることは本当にしんどいです。それを当たり前と言われて次を要望されるのもしんどいです。程々にやっていく方が、自分に合っているという方もいると思います。私はそうやって生きていきたいと思いますが…

また次の職場でも色々と引き受けてしまっています。そのお話はまたいつか!

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